ラピュタ・アカデミック

従来にない形で、ラピュタの物語と登場人物の心底を考察する

      〜序章〜

f:id:sheeta1986:20191211195917j:plain 私が映画、「天空の城ラピュタ」を初めて観たのは16歳の時だった。当時は、宮崎駿監督が売れっ子アニメ監督になろうとしている時期だった。 
 私は既に、「風の谷のナウシカ」も観ていたが、ラピュタに受けた感動は、ナウシカ以上のものだった。何故か私は、その後将来の目標を「パズー超え」に設定してしまった。理由は分からない。
 しかしその翌年、私は某趣味で全く無名選手だったのがいきなり全国2位になってしまった。大学時代には悲願の学生タイトルも取り、新聞の「ひと」欄にも2度掲載された。勿論パズー超えなどまだまだ遠い彼方だが、少なくとも私がラピュタを観て変わったと言う事だけは自信を持って言える。
 いつしか、パズーとシータへの恩返しに、ラピュタの考察記事を書きたいと思っていた。しかし、私にそれが書けるのか?私がラピュタに関して研究した事は何処まで通用するのか?
 (尚、この記事はネタバレが入っている為、まだ天空の城ラピュタを御覧になっていない方は、本編を御覧頂いた後に当記事を読まれる事をお勧めする。)

 タイトル下の写真を御覧頂きたい。要塞から救出されたシータがパズーの胸で泣きじゃくるシーンである。実は、本編では無言だが、この場面は台詞が入る予定だったのである。
 話が逸れるが、この前に一度パズーとシータはムスカにより引き離される。家の近くで転倒し、ムスカに貰った金貨を投げつけようとするパズーの心境はいかなるものであっただろう?私は、シータに裏切られてしまったという悔しさは持っていただろうなと思っていた。(私が思うにここは重要場面なので本編でまたじっくり解説したい。)

 再び写真である。某漫画ショップで解った事なのだが、ここで省略されていた台詞は以下の通りである。
 パズー「御免ね。僕はシータの気持ちを疑って
     しまった。」
 シータ「ううん。」

 私の解釈は当たっていたのだった。これ以降、ラピュタの独自解釈にある程度自信を持つ事が出来た。
 本来は監督に言わせれば、小学4年生くらいなら理解出来るアニメ映画を目指したそうなのだが、実は天空の城ラピュタという映画の落とし穴はここにある。兎に角、他作品に比べて余計と思われる台詞を極力カットしている為、時にはとんでもない勘違いをされる事がある。ブロの方ですら解釈を間違えてる事もあると感じるぐらいである。登場人物の心底など物語の背景など、全てが観客に委ねられるのである。これが奥深さでもあるのだが。
 本当は皆様に皆様なりのラピュタ感があって良いのだが、敢えて私が研究した事をここに記し、比較的自信ありげに解説したいと思う。おそらく、未だかつて無いラピュタの解釈記事となるだろう。独りよがりな記事になるかもしれないが、一人でも多くの方が共感し、ラピュタのファンが増えてくれたらこれ以上の喜びはない。
 本記事を書くにつれ、改めてラピュタに関して様々な方々と討論させて頂いた。紙面を借りて、ここに御礼申しあげます。

 第1章 本当にラピュタは「失敗作」なのか?
 第2章 ムスカに関する考察
 第3章 ドーラに関する考察
 第4章 パズーとシータの「関係性」を考察
 第5章 パズーに関する考察
 第6章 シータに関する考察
 第7章 パズーとシータの将来を考察

 (議論の場を設ける為コメント欄を開放していますが、単なる悪口、雑言については返答致しません。また、明らかに自分の意見を述べていないコメントに関しても、返答を拒否させて頂きます。)