ラピュタ・アカデミック

従来にない形で、ラピュタの物語と登場人物の心底を考察する

第6章 シータに関する考察。(前編)

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 もう1人の主人公シータについてだが、実は書きたい事が山程ある。近年、ラピュタに関する情報量が多くなり、考察も昔より大部進んだ感じだが、ことシータに関しては、かなり曖昧な情報が多く、混乱を招いている印象があるからだ。また、シータに関しては、勘違いされている事が多いと感じる。
「シータには、能動性を感じない。」
「シータは、付き合ったら普通につまんなさそ  
 う。」
「シータは理想像過ぎて人間味を感じない。」
 これまで目にしたシータの印象についてのコメントであるが、こう仰る方にこそ、この記事を御覧頂きたいのである。そして、見えなかったシータの魅力に気付き、シータのファンが1人でも増えてくれたら考察の甲斐があったというものである。

 ・シータは、自分の心を写す鏡
 
 シータは親に死なれ、1人で農業をやって暮らしていたが、ムスカに強引に拉致されこの物語に巻き込まれてしまう、実はラピュタ王家の末裔だったという設定の少女である。
 第4章の冒頭で述べているが、ラピュタは原点回帰的作品であって、共感出来る登場人物を登場させている。シータも例外ではない。実際おかみさんには「いい子」だと言われているし、ドーラに至っては、嫁にするならああいう子にしなとまで言っている。
 こういう設定があるので、私はシータ自身がその
人にどう映るかは、その人の心を写す鏡の様な存在と思っている。だから、ブリッ子に映ったり、二重人格に映るという方はちょっと要注意で、今一度自分自身を見つめ直す事をお勧めしたい。余計なお世話と怒られるかもしれないが。
 ただ、私がラピュタに関して討論した方で、あざとさは女性が生きる、繁栄する事への素直な態度であり、女性があざとさを持っているのは自然と考える方がいらっしゃって、大いに勉強になった。この方はブラックなシータを愛しておられ、その部分は完全に私と食い違う所なのだが、シータのパズーに対する気持ちという軸の部分は一致していたので、非常に楽しく議論をさせて頂いた。

 ・実はシータは「尖って」いる!

 勿論良い意味である。正しくは意志が非常に堅いと言うべきなのだろうが、そのレベルが半端ではないと思われるのでこう表現させて頂いた。
 シータは基本、敵であるムスカには決して屈する事はない。映画冒頭の飛行船のシーンで食事を出されるのだが、シータはいっこうに口にしようとはしない。パズーと出会って再び軍に捕えられた後も食事には一切口につけないのである。
 ラピュタは5日間の物語と記憶しているが、シータが食事したと思われるのはパズーと一緒に廃坑へ逃げた時と、タイガーモス号で料理を振る舞っていた時のわずか2回である。
 飛行船の話に戻ると、ドーラ一味に襲撃されたムスカが救援の為モールス信号を送っていた隙を付き、恐る恐るではあるがワイン瓶で殴りムスカを気絶させている。こういう面からも、シータに能動性が無いというのが勘違いだとお解り頂けるだろう。

 ・シータがパズーを好きになる瞬間

 シータは飛行船から落ちてしまうが、飛行石のお陰で無傷でパズーのいる炭鉱の町へ降りる。パズーに助けられ彼の家で眠り、翌朝パズーと運命的な出会いをする。
 シータがパズーを好きになるのは第5章でも述べており、当記事冒頭の写真の場面が該当するのはご存知の通りである。しかしこの話になると決まって
「そういう意味じゃなくて、人として信頼出来るとかそういう意味なんじゃないの?」
と仰る方が必ず出てくるのだ。しかし、当記事ではハッキリその説を否定する。
 何故なら、その前の場面でパズーがシータの飛行石のペンダントを発見し、見せてと言ってくるシーンがあるが、家宝同然のこのペンダントをシータは躊躇わずパズーの手に渡しているからである。この時点でシータはパズーを信頼してるのが明白であり、そういう意味なのならこのシーンに記述がなくてはならない。だから当記事冒頭シーンの絵コンテに書かれている「シータ、パズーが好きになる」は文字通りの意味と考えるのが自然な解釈である。

 ・シータの「ウソ泣き疑惑」の検証

 シータファンからしてみれば、はあ?何じゃこりゃ?と言いたくなる話であろう。私も全く同感だが、アンチのみならず、ファンの方でも意外にも指摘される方が多いので触れさせて頂く。
 要は、シータが軍に捉えられ、最初泣いてた所から、ムスカにパズーがどうなるかは君次第と脅しをかけられ、その時シータの血相が変わるシーンの事を言っているのである。この件は最初からしっかり考察したい。
 パズーとシータは海賊と軍隊から追われ逃げるが、廃坑から出た為に軍隊に捕まってしまう。パズーは独房に入れられ、シータはムスカに連れられ、ラピュタから落ちてきたロボットを見せられる。ロボットには飛行石と同じ紋章があり、要はシータがラピュタの関係者だと証されたのである。
 シータが泣き始めるのはここからである。要はシータにとって怖れていた事態が発生したのである。そもそもシータは自身がラピュタの末裔である事を恨んでいるふしすらある。タイガーモス号の見張りの際にパズーに言った、
「本当はラピュタなんてちっとも行きたくない。」
という台詞がよく物語っているだろう。シータはこれで軍に利用され、シータの自由への保証は全く無くなってしまったのだ。シータはムスカと軍に強引に連れ去られた事をお忘れなく。
「私何にも知りません!石が欲しいならあげます!
 私達をほっておいて・・・」
 厳密にはシータは自分か王女である事と、飛行石に関するおまじないと呪文は知っている。しかし、敵であるムスカに言う訳はない。勿論ムスカの言う事など信用していないだろう。平和の為なら強制連行される筋合いはない。そして、先程述べた絶望感があるからここでシータが嘘泣きしてるのは違和感がある。そもそも、ムスカを瓶で殴ってしまっているから、泣き落としが通用しない事くらいシータは解っている筈だ。
「私は手荒な事はしたくないんだがあの少年の運命
 は君が握っているんだ。」
このムスカの脅しでシータが泣くのをやめ、血相を変えてムスカを見るのだが、当然である。シータにとって非常事態であるからだ。そもそもシータは早い段階でパズーを好きになっているし、ラピュタの事でパズーを死なせる訳にはいかないのだ。
 結局、シータが王女である事も知らされて、観念したシータは、パズーを逃して自分だけが犠牲になる道を選び、パズーを思い1人で涙に暮れるのだ。この場面は、後編でも紹介する事になる。
 シータ嘘泣き説を唱える方は、何処かにシータのあざとさを感じているからそう言っているのだが、シータの心底をせめてこの程度は考えてから唱えて頂きたいと思う。
 また、シータが嘘泣きか否かは、下手をするとこの作品の世界観をぶっ壊しかねない案件なのである。それはもう第1章で述べたジュブナイルがどうのこうのの比では無い。最終決戦等でパズーの気持ちとシータの気持ちに疑いがあったら、緊迫したシーンがとんだ茶番劇になってしまうのだ。もっとも、雪の女王を敬愛される監督が、そんな話にする訳が無い。
 蛇足だが、これに関するドーラおばさんの台詞を入れておく。
「泣かせるじゃないか。男を助ける為のつれない仕草。あたしの若い頃にそっくりだよ。」
 これでもまだ、シータ嘘泣き説を唱えるのか。

 ラピュタの物語が5日間と申し上げた事について少し補足したい。初日にシータが空から降りてパズーと出会い、2日目に海賊と軍隊からの逃走も捕えられ、3日目にパズーが解放され、ドーラと共にシータ救出に向かい、4日目にシータ救出からタイガーモス合流、5日目にラピュタ到着からフィナーレまでという事だったと思う。争点になるのは軍に捕えられた期間だが、ムスカが、「夕べはよく眠れたかな。」と言っているので、日付が変わっている筈である。もし正しければ、ラピュタシェークスピアロミオとジュリエットと同じ期間の物語になる。参考までに。
 次章でもシータ考察を続ける。爆弾記事になるかもだが、敢えて我が道を行きたい。