ラピュタ・アカデミック

従来にない形で、ラピュタの物語と登場人物の心底を考察する

第3章 ドーラに関する考察

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 続いては、ラピュタのキーマン、ドーラおばさんについて考察する。私が挙げた4名の中で、ドーラが1番難しいキャラクターだと感じる。最初のドーラと終盤のドーラは余りにも別人だからである。実は、ドーラの考察の際に、私は以前致命的なミスをしている。ドーラおばさんはこの物語に絶対必要な人物なので、慎重に考察していきたい。

 ・モデルは宮崎監督の母親

 これは今では有名な話である。実は監督の母親は病弱であったらしいが、神通力は相当なものがあったらしい。確かにドーラおばさんには監督の思い入れを感じる。こちらもムスカ同様、名文句が多い。
「40秒で支度しな。」
「それでもお前は男かい!?」
「海賊が財宝を狙ってどこが悪い!!」
「お前達も嫁にするならああいう子にしな。」
「シャルル、もっと低く飛びな」
「最後のチャンスだ。すり抜けながらかっさらえ!
 」
 ドーラは海賊の船長で、息子のシャルル、ルイ、アンリと他の部下を従えてラピュタの飛行石と財宝を狙っている。夫は亡くなられた様で、映画に出てくる技師のハラ・モトロは夫ではない。念の為。
 ドーラは最初はパズーの敵と思われていたが、途中から味方になるのは御承知の通りである。この転換期はドーラおばさんの考察の上で絶対に外せない所だ。

 何故ドーラはパズーの家に待機したのか?

 パズーとシータが廃坑の中にいた頃、ドーラ一身も廃坑の中にいた。結局、廃坑を出てしまったパズーとシータが軍に捕えられ、ドーラ一身はその後に脱出した事になる。
 私はある事が不思議に思っていた。それが上記の見出しである。そもそもその前に炭鉱の人達とやりあってるからパズーの家に待機するのはリスクが高いしメリットは無い。要はリスクを追ってでもパズーの家に待機する必要があった訳だが、それは飛行石の為だろう。ドーラは、本編の様にパズーとシータが引き離され、パズーだけがすごすごと帰って来る事が想定出来たので、軍の動向と飛行石が今誰が持っているか等をパズーから強引に聞き出す為に待機していたという事である。
 白状すると、私が考察で大きなミスをしたというのはこの前記の所である。実は、私は列車でやりあったパズーの事を認め、仲間にするつもりがあったのではないかと考えていたのだ。しかし、この時点ではドーラがパズーを味方にする動機は薄いので考え辛い話である。
 実は、ドーラを考察する際には、私はドーラの台詞をそのまま解釈するのは危険だと思っている。何しろ、この人は昔気質の人間でちょっとへそ曲がりな所があるからだ。ハラ・モトロとのやり取りを再現すれば解りやすいだろう。
「ドーラも変わったねえ。ゴリアテなんぞに手を出
 すとは。勝ち目はねえぜ。」
「フン、ラピュタの島だ。無理もするさ。」
「へへ、確かにいい子だよ。あの2人は。」
「何が言いたいのさ!?このクソジジイ!」
「カタギに肩入れしても尊敬はしてくれねえぜ!」
「何だって!?」
 この場面の時は既にドーラはパズーとシータを 
認めてた訳だが、それはハラ・モトロにはお見通しだった訳だ。私はそういう調子で、パズーに仲間に入れてくれと頼まれた後のドーラの台詞、
 「その方が娘が言う事をきくかもしれないね。」
を単なる口実と捉えていた。温情をまわりに悟られるのは嫌だから。しかし、この台詞は凄く小声で言っている為そう思い直して本音で言ったと考えるのが妥当である。天空のスペシャリストなんてかなり恥ずかしいペンネームを名乗っているが、天空の凡人と改名しなくてはなるまい。
 冗談はさておき、ドーラがパズーとシータを認め、力を貸そうと決めたのは何処かはハッキリしている。シータ救出後に、パズーから僕らを船に乗せてくれと頼まれた時である。シータが自分を犠牲にしてパズーを逃したのは既に知っているし、救出の際旗色が悪く引き返そうとしたのに、パズーはシータをかなり遠距離から見つけ出した事、ドーラが石に当たって気絶した際もパズーは見よう見まねでフラップターを動かした事から、パズーの本気を見たからであろう。よくよく考えれば、このよく似たシーンを2回使ったのはドーラの心境が移り変わった事を表現しているからである。また、ドーラの台詞である、
「海賊船に乗るには動機が不純だよ。」
は完全にパズーとシータに対する褒め言葉である。裏を返せば、あんた達は純粋すぎる。海賊船にのせるには勿体無さ過ぎるよと言っているようなものなのだから。そもそも本当に動機が不純と感じているなら2人を海賊船に乗せないだろう。

 ・拘りの盗賊ドーラと、その母性

 そういう訳で、一見怖そうなドーラおばさんはパズー達に心を動かされてしまう訳だが、実はドーラには設定があって、人は絶対殺さないし、貧乏人からはお宝を取らないという拘りを持っているとの事。確かにゴリアテを襲撃した時はマスタード弾を使っていたし、炭鉱の連中相手に投げた手榴弾は恐ろしく能力の低いものだった。(爆発は派手だったが回りの建物が全く被害を受けていない。)パズーが仲間に入れる様頼んだ時も、その前のシータはお前を助ける為に嘘をついたんだという話のやり取りから、パズーはドーラの人間性を薄々気付いたというのはあるだろう。実際、真夜中のシータとの見張りの際に、
「ドーラだって解ってくれるさ。あの人見かけより
 いい人だもの。」
と言っている。
 さて、タイガーモスのラピュタ探索が始まってからはドーラは完全に母親替わりの様な状態である。先程のパズーとシータの会話はドーラに聞かれている訳だが、ここで大事なのは、ドーラが話を聞いていたのは、シータが逃げ出そうとしてないか疑っていた訳ではない。勿論2人を心配しての事である。
 実はこれは映像でも確認出来る。タイトル下の写真はその時のドーラの部屋で、連絡が取れる様に伝声管が繋がっている訳だが、その蓋が1つしか開いてないのである。疑っているなら、シータの行方を追う為全ての伝声管の蓋が開いてなければならない。つまり、シータがパズーを追って最上部の見張り台に行く事はドーラは想定済みだったのだ。
 あと、台詞でも確認は可能である。見張り台を凧にして、いよいよラピュタへという時の台詞、
 「シータ、そこにいるね!?」
 「はい!」
 「お前は戻っておいで!」
 「何故?」
 「何故ってお前は女の子だよ!?」
明らかに最後の台詞は母親の心境であろう。私の言う事が聞けないのかいなんて意味でない。
 また、クライマックスでラピュタが崩壊した後、盗賊の一味があまり悲しんでいない、テンションが普段と変わらないなんて指摘する方もいらっしゃるが、とんでもない勘違いである。ドーラの台詞、
「滅びの言葉を使ったんだ。あの子達は馬鹿共から
 ラピュタを守ったんだよ。」
は私が解釈するに、ドーラが自分自身に言い聞かせていた台詞である。受け入れ難い現実を何とか受け入れようとしていたのだ。そして、その悲しみを和らげるものがラピュタの木の根にある巨大な飛行石だったのだ。しかし、
「木だぁ、あの木が全部持ってっちまう。」
ドーラは飛行石の事を研究し尽くしていた筈である。実際、列車の追いかけっこでパズーとシータが転落しそうな時、飛行石の事を知っているドーラは、静かに、よく見てな!と言っている。なのにこんな的外れな事を言うのは、それ程パズーとシータが死んだ(と思っている)事に動揺している事の証であろう。パズーとシータの命も飛行石もみんな持って行ってしまうのか!?というドーラの悲痛な叫びが聞こえるようではないか。しかし、御承知の通り、2人は生きていて、それを見たドーラは心から喜ぶのだが、完全に飛行石の事は忘れてしまっているのである。
「可哀想に、髪の毛を切られる方がよっぽど辛いさ。」

 話が変わるが、私がこういう形式で考察記事を出しているのは、登場人物の心底は物語を読み解く上で非常に重要と考えるからである。登場人物の心底はそのまま行動原理に繋がっていく。私がラピュタを面白く思うのはその過程がしっかりしているからだと思う。逆につまらない作品は、なんでそう考えてるのにこういう事してるの?と疑問を投げかけたくなる程その過程が破綻している。皆様も似た経験がある筈だ。その事を踏まえた上で、いよいよ次章ではあの2人に登場して頂く。