ラピュタ・アカデミック

従来にない形で、ラピュタの物語と登場人物の心底を考察する

第7章 パズーとシータの将来を考察(後編)

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 前編で2002年にラピュタがブルーレイとして発売されて、新たな事が起こったと書いたが、それは有名なエンディング曲、「君をのせて」のアンサーソングとして、「君をつれて」が発売された事である。歌われたのは元米米CLUB石井竜也さんで、実は大のラピュタファンであるという。この曲はあの映画から16年後のパズーの視点で歌詞が描かれており、作詞は石井竜也さんであるが、宮崎監督の公認を得ている為、ラピュタと無関係の世界の話ではないと言えるだろう。
 この曲の印象は人によって変わるだろうが、私自身は宮崎監督や石井さん他関係者からのラピュタファンにとって最高のプレゼントだと考えている。何しろ知る由も無かった大人になったパズーの一面を味わう事が出来るのだ。

 ・パズーの16年後、「君をつれて」

 まず、この曲を存じあげない方々の為、歌詞を紹介していくとする。

 あの頃僕は   君を探して
 旅を始めた   ばかりの少年
 夢は未だに   叶わないけど
 隣には君が   微笑んでいる
 勇気を出して  今言える事
 胸の中に光る  夢ひとつ
 もう一度君と  旅に出よう
 もう一度僕は  探しに行く

 季節は巡る   二人を変えて
 過ぎてゆく日々 揺らめく思い出
 季節は巡る   心を染めて
 だけどきっと掴もう君と二人で
 明日の事は   分からないから
 今日も歩いてゆく遥かな道
 もう一度君と  旅に出よう
 もう一度僕は  探しに行く

 もう一度夢を  追いかけよう
 もう二度と僕は 迷わないだろう
 季節は巡る   二人を変えて
 あの頃の夢   揺らめく思い出
 季節は巡る   心を染めて
 だけどきっと掴もう君と二人で

 「君をのせて」の様に韻を踏んでいる感じが印象的な歌詞だが、この曲を解釈するには2つのポイントがある。「君」が誰を指すのか?そしてパズーの新たな夢とは何か?この2点である。
 私の解釈は、「君」が誰かという答えは、言う間でもなくシータである。もう一度旅にと歌詞にもあるので自然な解釈だろう。ある議論で、「君」はシータでなくパズーの持っているナイフやランプかもしれないなんて意見もあったが、だとしたら凄い擬人法だし、後の歌詞で二人と言ってるから違うのは明らかだ。マッジだったら凄くピンと来ないアンサーソングだし、ましてやラピュタでは無い。ラピュタが微笑むなんてすざまじい擬人法であり才能ナシと何処かの番組で言われそうだ。そもそも、歌詞は「君」に対して思いが入っているのが解る事からもシータを指してるのは間違いなさそうだ。
 そしてパズーの夢だが、これはもうパズーの気持ちになって考察するしかないが、旅に出ると明確に書かれている事からも、おそらく自分の飛行機で、もう一度ラピュタへ行こうと考えていると推測する。本来パズーが映画冒頭で目指していたのは、自分のオーニソプターを完成させてラピュタを見つける事だった。また、ラピュタは崩壊はしたが、崩壊したのは1番シータを恐れさせた化学兵器とか戦闘施設の類であり、庭園やロボットは健在なのだ。因みに、ラピュタはエンディングで大気圏の手前辺りまで浮いているが、飛行石が酸素を作っている為、植物もロボットも動物も生きているとの事。シータにとってみればラピュタは恐ろしい存在だったが、シータにとって忌まわしい物が消えたラピュタは純粋に故郷とも取れなくはない。
 歌詞を見ると、離れて暮らしていたパズーとシータは一緒にいる様だ。しかし、ここで思考を止めずもう少し根こそぎ拾っていきたい。
 2番の歌詞は、これまでのパズーが送って来た日々を回想する印象の歌詞が見られる。思っていたよりも苦悩があった形跡も見られる。二人を変えてという歌詞は、16年が経過してるので姿も年齢も変化するのは当然だが、もしかしたら、パズーは将来の為に暫く冒険の事を忘れ、努力する日々を送ったのかもしれない。ただ、私はシータの内面はそれ程変わっていないのではと感じる。前記の様に日々を生きてきたパズーを陰で支えてたのではなかろうかとさえ思う。ただ、パズー自身が変わった様に感じた為に余計に2人が変わった様に見えるのかもしれない。そして、歌詞はこう続く。
「明日の事は分からないから、今日も歩いて行く遥かな道。」
 実は私が唸ったのはこの歌詞である。これはガチのラピュタファンでないと書けない歌詞である。これは映画のパズーの生き方そのものであり、再三申し上げた、パズーがリアリストである事をしっかり理解している証明なのだ。実はこの歌に関して、パズーの妄想を歌詞にしてるのではないかという声もあったが、この歌詞がそうでない事を証明してくれている。誤解してらっしゃる方も多いが、パズーは冒険ばかり考えている様で実は地に足着けた生き方をしているのだ。
 そして、更に歌詞は続く。
「もう二度と僕は迷わないだろう。」
やはりパズーには苦悩があった様だが、同時にこの歌詞は、パズーの人生に転機が訪れた事を暗示している感がある。歌詞にあるその転機とは何か。それは、隣で君が微笑んでいる以外にないではないか。つまり、1番のあの場面は、パズーとシータの結婚式の真っ只中、もしくは結婚直後の2人の様子と捉える事が出来るのだ。その考えが単なる戯言でないかの様に歌詞はこう締めくくる。
「だけどきっと掴もう。君と二人で。」

 以上だが、これを以てパズーとシータは結婚し、再度ラピュタへ行く事を目指しながら日々を過ごしたと当記事では結論を出しておく。監督が御覧になったら、「違ぇよ!」と怒られるかもしれないが。
この問題に関しては色々意見が別れ、また、異論も当然あるだろう。是非御意見を伺いたく思う。しかし、異論を唱えられる場合、その方なりにこの歌をちゃんと解釈した上で、御意見頂ければ幸いである。

        〜あとがき〜

 ラピュタについて色々論じてきたが、私の尊敬する昭和の大棋士の口調をかなり意識して書いた為、尊大な印象を与えてしまった事はこの場でお詫びしたく思う。
 ラピュタは今年再放送されたが、実は自分の中でモヤモヤした事があった為、リアルタイムでは見ず、解決してからしっかり録画しておいたラピュタをじっくり堪能した。ラピュタを観る時は、心をまっさらにして観るのが一番良い見方だと思う。
 そう言えば、今年初めて三十路になってラピュタを観てパズーと自身を比べて絶望した方がいらっしゃた様で、文章を読ませて頂いた。私の感想は、まず何故三十路で出会えた事を喜ばないのかと感じた。出会えずじまいで終わる人だっているのである。あと、年齢を理由に否定的な思考をされる方は、ラピュタを観ても楽しくないのではと思う。パズーががむしゃらに進んだ様に、我々は何歳であろうが、命ある限りはそれを全うしなくてはならないのだ。
 私は凡人である。ただ、ラピュタを極めたいと思っているのでこういうペンネームを名乗らせて頂いている。私はラピュタに関してまだ解ってない事がまだまだあると感じてるので、もしかしたらこの記事もまた更新されるかもしれない。ただ、今の時点でこの記事を出せた事は多いに感謝している。皆様には皆様のラピュタ感があると思うので、こちらは参考程度に御覧頂ければ有難い。
 最後に、私の座右の銘を記してひとまず結びとしたい。

 「聖書」と書いて、「ラピュタ」と読む!!