ラピュタ・アカデミック

従来にない形で、ラピュタの物語と登場人物の心底を考察する

第4章 パズーとシータの「関係性」を考察

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 いよいよ、パズーとシータについて考察するが、その前に、映画天空の城ラピュタが出来る経緯について触れておきたい。
 ラピュタは、本来あるべきアニメの姿を取り戻そうという目的で創られたという。相手への献身とか、友情とか信頼とか、今クサイと言われつつも誰もが望んでいるものをてらわずに表現しようとした、言わば原点回帰的な要素がある。誰もが共感出来る主人公、誰もが共感出来る登場人物を置き、本来アニメとはこういうもので、子供向けには創られているが、それは大人が観ても十分に鑑賞に耐えうるもの。そういう作品を目指したという事である。これは、今後の核になる部分なのでしっかり抑えておきたい。

 主役はパズーなのか?シータなのか?

 ずばり形式的な事を言えば、主役はパズーである。実際、映画の原案には、「少年パズー・飛行石の謎」と書かれていた。しかし、私が思うにこの映画に関しては、そういう形式に当てはめる事は得策ではないと感じる。物語はラストの方など完全にシータが争点になっているし、第1章でも触れたが、この物語は定型のジュブナイルをぶっ壊して、新しいジュブナイルの形を模索した作品でもあるのだ。だから私が上記の質問をぶつけられたら、躊躇わず
「パズーもシータも、2人とも主役ですよ。」
と答える様にしている。この2人は一心同体なのではないかと思える場面が多いし、その方がピンとくる気がしている。

 ・2人は、「友達以上、恋人以上。」

 上記の題は別にふざけている訳ではない。
 ラピュタで決まって議論になるのが、パズーとシータは友達か、恋人かという話である。
 かなり昔のインタビュー記事になるが、映画の後、2人は直後に一緒に暮らしたり結婚したりしたのかという質問があった。
「それはないです。パズーもシータもまだ子供です
 から。一緒に冒険した友達で恋人では絶対にない
 です。パズーは渓谷へ、シータも自分の谷へ帰り
 ます。(以下略)」
これが監督の答えである。設定ではパズーとシータは13歳らしいが、この言葉をもって2人は友達までと解釈するのは私は早計な気がする。
 そもそも、2人の心底的にはどうなのか?第5・6章でも説明するがシータがパズーを好きになる事は
実は設定に入っているし、パズーもシータを好きである事は、後に説明するが監督自身が仰っている。
 この作品は、子供に観せる映画を意識しているので、敢えて恋人として描かないというのは意図としているだろう。そもそも、恋人にしてしまったら俗っぽくなってしまう。(実は中盤の軍に帰されるパズーにはちょっとその傾向が視られるが。)人間愛とかそういう原点的なものを押し出したいのである。ただ、私目線ではそういう設定がある事でかえって2人がラブラブに見えるのだが。また、監督の言葉は、もう少し大人に近づけば十分その可能性がある事を含んでいる様に感じる。
 我ながら奇妙な題と思うが、これ以降の説明で徐々に納得して頂けるのではないかと思う。

 ・本音と建前 実は色々とやっている
 
 実は上記は建前でこちらが本音かと思ってしまう
話が出てくる。
 宮崎監督のインタビュー記事の本で、「風の帰る場所」と言うのがあるが、ラピュタの話になり、パズーとシータがラピュタに着いた後、2人で喜んで地面に寝転がる形になり、顔を見合わせ大笑いする有名なシーンがあるが、インタビュアーが、あの時2人がキスしなかったのが不満だという意見を言ったが、監督はこう答えている。
「あの場面でキスなんかしなくても、もう2人は十
 分やっています。」
具体的には、パズーとシータが凧に乗り、風に煽られる訳だが、その後「こわい?」とシータに聞くパズーは、背中にシータの胸の感触を感じているからあんなに毅然とした顔をしているのだと言う。最近良く話題になっているアレである。
 しかもその場面は、最初シータはパズーにくっついてなかったり、パズーの表情が弱かったりしたので、監督が、大好きな女の子が小さな胸を背中に押し当てている時に、お前はこんな表情するのか?と説教したというのだ。この記事は過剰に表現され過ぎている気がするが、要は、好きな子の女性の部分を感じとる事で、何としても僕が守らねば!と決意を新たにする所なのである。
 また、こういう話もある、現ジブリの社長である鈴木敏夫さんが、宮崎監督に対して、
「パズーとシータってやっちゃってるよね?」
と聞いたら、監督がニヤッと笑ったという話だ。まあ鈴木さんが仰るのは心底的な意味だろうし、監督が笑ったのは、よく解っているじゃないかという事なのだろう。鈴木さんがラピュタに関して仰っていた事をここに記しておく。
ラピュタの近くまで行って、シータとパズーが狭
 い所で2人で顔を覗くシーンが出るじゃないです
 か?何であそこ、あんなに狭いのかって(笑)。
 それは「くっつけよう」ってだけでしょ?」
 思えば、初見で私自身も上記のインタビュアーと同じ事を考えたが、3年後にはその考えは卒業した。(笑)今の目で見れば、キスシーンよりこちらのシーンの方が意味深にみえるからだ。考えれば凄いシーンである。好き同士が顔と顔が物凄く近い状態でしかも全く照れが無い。そして幸せそうに笑っている。この2人はもうそういう状態は日常茶飯事な状態なの?と思わせるシーンである。
 また、タイトル下の写真も御覧頂きたい。ラピュ
タ庭園の探索で2人が手を繋ぐシーンだが、よく御覧頂ければ解る様に、指を絡ませているのである。俗に言う「恋人繋ぎ」である。これは成立仕立てのカップルでは恥ずかしさや照れが出て出来ないと言われている繋ぎ方なのだ。ここまでくると、一緒に冒険した友達と建前を言いながら、本音では堂々とカップルとして成立させている様に思うのは、私だけではないだろう。

 ・究極の愛と「死の覚悟」という悲劇

 第1章でも触れたが、宮崎監督が敬愛する「雪の女王」という童話は、ゲルダという少女とカイという少年の物語である。仲良しだった2人だが、カイに悪魔の作った鏡の破片が刺さる事で性格が豹変し、更には雪の女王によって雪の宮殿に連れ去られてしまう。生存を絶望視されたカイをゲルダは周りの反対を押し切り、カイを取り戻す為雪の宮殿を目指していく。何度も死にそうな目に会うが、遂に雪の宮殿に付き、カイに会えた事で出た涙がカイの破片を融かし、2人は無事に帰還するという物語だ。
 この話は宮崎監督作品の多くに影響を与えていると思われるが、ラピュタには特にその要素を感じる。ムスカとの最終決戦、パズーは何度も死にそうな目に会いながら玉座の前に辿り着く。シータは、パズーだけは何とかして助けたいので、死ぬ覚悟で敵意を露わにし、両方のお下げをムスカに撃たれてしまう。パズーのバズーカは弾切れ。結局、一緒に滅びの言葉を唱える事を決意する。
「おばさん達のナワは切ったよ。」
某プロが解釈出来なかったパズーの台詞だが、これには大きな意味合いが2つある。まず、滅びの言葉を唱えるというシータの罪悪感を一緒に唱える事で軽減させるという事は誰しもが気づくだろう。しかしもう一つ重要な事は、パズーはシータと共に死ぬ覚悟をしているという事なのである。自分達はどうなってしまうのか分からないが他に方法は残されていない。だから、パズーの台詞はシータを1人で死なせたりはしない。その時は自分も一緒だと言っている様なものなのだ。
 これはもう究極の愛の形であろう。第1章のタイトル下の写真があるが、この台詞を受けたシータの表情は非常に複雑である。貴方となら悔いはないという気持ちと御免なさいという気持ちが複雑に絡んだ表情で、最期を覚悟したかの様に力なくパズーによりかかるのである。
 かつて画家のゴッホは、ある1人の娘に恋をし、恋仲になり、真剣に結婚を意識するのだが、何しろゴッホは生きている間は作品が売れず貧乏で、また当時は絵描きという職業はかなり地位が低かった。
娘の父親は激怒し、ゴッホと娘は引き裂かれるのだが、ある日火のついたロウソクを持ってゴッホは娘の父親に直訴に行く。彼はロウソクの炎に商売道具である自分の右手を翳し、
「私が熱さに耐えられる間だけでいいから、娘に会
 わせてくれ!」
と言ったのである。もしゴッホが存命で、この作品を観たとしたら、愛する者の為に自らの犠牲をも厭わない2人の魂に同じ魂を見い出し、心から拍手を送るのではないだろうか。
 しかし、第1章で宮崎監督は、少年物の冒険活劇は悲劇しか生まないと言った事を述べたが、それはラピュタの崩壊ではなく、将に主人公のパズーに死を覚悟させてしまった事を言っているのだと思う。確かに悲壮感に満ちたシーンだ。ラピュタが苦手な方で、このシーンで心中を連想し鬱になるという意見もあるくらいだ。
 また、ジュブナイルは基本的には助けられる側は死を覚悟しないし、主人公は自分の力で少女を救い出すものである。
 だが、このシーンは沢山の方を感動させた事は疑いようがないし、(実際ベテランのラピュタファンはパズーのこの台詞で涙腺が緩む。)また、新しいジュブナイルの形を創ったという事は再三申し上げた通りである。

 私が題に挙げた、「友達以上、恋人以上」の意味が少なからず納得して頂けたであろうか。しかしながら、こういう話になると必ず、ラピュタは冒険物、そんな視点で観た事はないとか、冒険物に恋愛的な要素は不要だとかいう意見が必ず出てくる。ただ、そういう方にこそ、騙されたと思ってそういう事を意識して御覧頂きたいと思う。きっと今まで見えなかったものが見えてくる筈だ。
 次章では、パズーに焦点を絞ってさらに深く考察していきたい。